熱心な祈りを捧げる
Chujoh Gisuke On Prayer In Korea

Authored by Rev. Chujoh Gisuke, Japan
Translated by Rev. Mike Furey, Georgetown, IN, USA
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中條儀助様, 千葉県習志野市鷺沼4丁目8番9号

韓国教会繁栄の理由:日本の伝道者が体験したことの三章中條儀助

1 祈りは復興の鍵(金章煥『福音伝道と復興』韓国放送センター、九頁)

 「こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈りが 神にささげられた。」(使徒行伝一二・五)

牧師、長老、執事、教会員、誰に聞いても、韓国教会復興の原因の第一に挙げら れることは「祈り」であるとの明確な答えが返ってくる。日本や欧米では「祈り」 についての神学や理論の本がたくさん出版され、その本質や使命、目的、機能 (働き)をはじめ、祈りの時や場所、どんな場合に祈るか……等々について、大 変綿密、かつ具体的に教えている。したがって「祈り」について話ってもらえば、 理論整然とした、内容の深いことが述べられるだろう。しかし、祈りは理論では なく、行いである。具体的な神との対話、交わりであり応答、呼吸であることを
忘れてはならない。

2 韓国での「祈り」

 ・ 早天祈祷会

数年前まで「ハワイでは島の鳴き声で目が覚め、日本では自動車のエンジンの音 で目が覚め、韓国では教会の鐘(チャイム)の音で目が覚めた」と言われていた。 現在、韓国では教会数が余りに増えたため鐘(チャイム)を鳴らすことができな くなった。しかし、毎朝、農村地帯では午前四時か四時半、都会では、四時半か 五時から、早天祈祷会がどの教会でも行われている。もし、行わない教会がある ならば、キリスト教会とは認めないほどである。始まったばかりの開拓教会でも、 たとえ牧師、伝道師が一人であっても、大教会と同じように、熱心な早天祈祷会
が行われている。

なぜ!早天祈祷会を行うのか?韓国のキリスト者は、ただ「キリストに忠実」す なわち「キリストに見習う」ことに生命と存在をかけている。どんな困難、苦労、 痛み、損害があったとしても、キリストを第一にして生きる姿勢を前面に押し出 して生活している。たとえ集会中に疲れて、眠ることがあっても早天祈祷会に出 席する。とくに痛感するのは、若い婦人が赤ちゃんを背中(韓国では腰におう) におんぶしてさえ出席することである。日本では考えられない光景である。近代 化の中に育っている、日本の若い婦人たちは、一分一秒でもベッドの中にいたく て、早起きはできない。ベッドの中から指図(命令)することさえある。

<早天祈祷会の恵みと祝福>

〇 神への礼拝によって、一日の生活を始めることができる。 〇 一人でなく、神の家族と共にそれを行うことができる。 〇 キリストの体である教会に、毎朝、行くことができる。 〇 神の代理者、牧者である牧師と会い、人格的な交流ができる。 〇 思う存分、自由に祈り、讃美することができる。 〇 牧師を通して、神の言葉を聞き、学び教えられ、御言葉によって、慰められ、   励まされ、勇気と希望、そして力が与えられる。 〇 早起きし、教会に行くことによって、それが適度な運動となり、健康に良い。

<早天祈祷会の内容>

 一、讃美と祈りの時、一〇分 一五分

 一、使徒信条や聖書の各所の唱和

 一、牧師、伝道師のメッセージ、三〇分

 メッセージの内容は講解説教が多い。ここでじっくり、聖書を学ぶ。週一回の聖 書研究会や教会学校のクラスに出て、満足している日本の信者とは大分違う。朝 ごとに、専門教育を受け、御言葉に命をかけている牧師、伝道師から聖書を学ぶ のである。ここにリバイバルの源泉がある。

 一、さんびと祈り(主の祈り)

 一、自由な祈りとさんび

 韓国では、大小の教会を問わず、必ず、どの教会にも「祈りの大将」がいる。こ の「大将」は早天祈祷会ばかりでなく、あらゆる時に祈りつづけるのである。 一日に平均して、五時間から七時間も祈る人もいる。

 ・ 徹夜祈祷会―――ヨイド純福音教会の体験

「イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた」(ルカ六・一二)

 ペトロが捕えられ、獄に入れられた時、初代教会の人々は、マルコと呼ばれるヨ ハネの母マリヤの家で、夜を徹して祈った(使徒一二・三――五)

 

 韓国で徹夜祈祷会は、どの教会でも行われている。

 定期的な徹夜祈祷会

 ほとんどの教会は、金曜日午後一〇時から始まって、土曜日の早天祈祷会まで続 けている。ただ最近は、諸搬の事情を考慮して、午後一〇時から土曜日の午前一 時とか、二時までにしている教会も多くなってきた。

<集会の内容>

 集会時間が長いので、いろいろの方法がとられている。例えば、特別講師(他の 教会の長老、勧師、執事のあかし、特別讃美、音楽家による讃美とあかし、宣教 師や開拓伝道者や地方教会で、苦闘している牧師、伝道師のあかし)を招いてい る。司会も牧師、伝道師でなく、男子伝道会主催のときは、長老か執事、女子伝 道会主催のときは、勧師か執事、青年会・学生会主催の時は、青年が行っている。 しかし、その中心は、牧師のメッセージであり、メッセージと同じように讃美の時 をもつ、その美しい讃美の声は、あたかも天使の歌声のようにも聞こえる。

 自由な徹夜祈祷会

 私が初めて韓国へ行ったのは、一九七八年一ニ月である。日本と違い、大変寒く身 震いするほどであった。紹介された教会が、基督教大韓浸礼会聖徳教会(*相徳牧師)
だった。

 夜の復興会が終わり、聖徳教会の礼拝堂の講壇横の部屋(三畳間)で寝させてい ただいた。夜中の一時ごろ、私の名前を呼ぶ声で目が覚めた。その声は「チュー よ!チューよ!」であった。私の名前は「中條」であり、子供のころから「チュー  チュー」と人々から呼ばれていた。私は飛び起きて電灯をつけ、あたりを見ま わしたが誰もいない。夢でも見たのではないかと思い、電灯を消して、再び床に ついた。しばらくすると、また「チューよ!チューよ!」と言う声が聞こえてく るのだ。夢ではなく確かな声である。私はその時、サムエルのことを思い出した。 霊の火が燃え、祈りぬかれた韓国の教会だから、神の声が聞こえるのだと思った。 しかし「チューよ!チューよ!」という声は、一時半になっても二時になっても 聞こえてくるのだった。私は起きて、電気をつけないで声の方へ近づいて行った。 その声は、礼拝堂の方から聞こえてきた。礼拝堂のドアーを開けて中に入り、声 の方へ近づいてみると、中学生と高校生の女の子二人が、一つ心で聖壇の前にひ ざまずいて祈っていたのだった。そのとき、私の心は、激しくふるえ、生ぬるい 自分の信仰を心から反省した。

 マイナス一五度というストーブもない礼拝堂で、女学生が涙を流し、熱く祈るあ まり汗も流し、一つ心で必死になって、夜を徹して祈る姿に私の信仰が、たたき 直され、新しく造り変えられた体験を韓国の第一夜で経験した。このような徹夜 祈祷は教会堂においてだけでなく、家庭、祈祷院、山の中、あらゆる場所で行わ れている。主いエス様は四〇日四〇夜、連続して祈られた。また時間を大切にす るようにして、徹夜で祈られたこともある(ルカ二二・三九――四六)。失望せ ずに、日夜叫び、祈り続けることを教えている(ルカ一八・一――八)。旧約聖 書でも、ネヘミヤが昼も夜も神の前に祈り続けたことが教示されている(ネヘミ ヤ一・六)。韓国のキリスト者にとって聖書は、言葉だけでなく、命でもあると 信じている。そのため聖書に記された通りに、生活しようと必死である。

<徹夜祈祷会の体験>

―――― 一九八四年三月九日、ソウル・ヨイド純福音教会 ――――

 世界最大の教会 Full Gospel Central Church (Rev. Paul Yonggi Cho) に, 午後一〇時三〇分から徹夜集会の説教をするためにうかがう。今まで二〇数回、 韓国伝道に行ったが、ヨイド純福音教会に行く機会はなかった。ただ外からは眺 めたことはあった。しかし、一九八三年、一一月末、日・韓合同聖会が韓国で行 われた時、基督教韓国浸礼会、前総会長で*教会の季相模牧師、首都浸礼神 学校の学長、金甲洙牧師をはじめ、多くの方々と連れだって、ヨイド純福音教会 を訪問し、見学した。そのおり、国際交流福音宣教会の副会長の張寅相先生の特
別なはからいで、Rev. Paul Yonggi Cho に会い、約一時間ほど、祈りと対話の時 を
もった。このとき Rev. Cho から依頼されていたので、祈祷院の集会を一日短 かくして、この集会に参加することにした。この教会は、世界的に有名で、ほと んどの人が知っていると思う。

 私は午後九時四〇分に教会に到着した。途中、風と雪とみぞれが激しく降るので、 二万人の入る大会堂はガラガラではないかと話し合っていたが、行ってみて驚い た。教会の前の庭、道路に長老教会、臨理教会、聖潔教会、浸礼教会…… いろいろな教会・教団の教会バスが駐車している。その数は余りに多いので数え ることすら難しい。私は一瞬驚いた。なぜ!長老派の人が?他の教会の人々が、 しかも牧師を先頭にして、教会バスを連ねて、徹夜祈祷会に、この大雪の中をく るのか。その理由はなにか。

 ヨハネ福音書六章一節以下の記事を思い出した。神の言葉を、そのまま語るエ ス様の所に、人々が集まる。すなわち、神の愛(アガペー)のある所に人々が集 まるのだ。そして、神の力と聖霊に満たされたくて集まってくるのである。私た ちは教団、教派の小異のために、批判したり、分離、分裂したりする。しかし、 中国の元首相であった周恩来が語ったように「小異をすてて大同につく」この必 要性を学ぶことになった。

 午後九時四〇分から一〇時三〇分まで、集会のための打ち合わせと、聖霊の充満 がありますように、と司会者、関係者と共に祈り合う。そして、すぐ司会者に引 率されて大聖堂に入る。大聖堂は人々がいっぱいで通路にまではみ出している。後 の方では立ってもいる。会衆者であぶれている。午後一〇時から、讃美と祈りが 続けられており、祈祷院のように、熱い霊気で燃えている。聖霊の力に圧倒され る思いだ。大聖堂に入れない方が一万数千人おり、地下室で五、〇〇〇人、教育 館の他の部屋など、六つの部屋に分かれて、テレビを見ながら集会に参加している。

 私は、午後一〇時四五分から一二時まで説教した。集会の多いこの教会では、ふ つう、一回の集会は、一時間で終わる。だから、説教は二〇分――三〇分である。 しかし、この集会は特別な徹夜集会のため、長く説教ができた。説教の内容は、 イザヤ書四三章一節から『恐れのない生活』と題して話した。

その要旨は以下のようである。

I 神は、すべての創造者である

 ・ 万物は、神から出て神によって成り、神に帰する(ローマ一一・三六)

 ・ 我々は皆、神のうちに生き、動き、存在している(使徒一七・ニ八)

II 人間には恐れがある。何故!恐れがあるか

 ・ 神の創造の御手から分離し、断絶してしまったから

 ・ 神の御子、イエス・キリストの、十字加と復活と再臨を信じないから

III 神は、私たちから、恐れをまったく取り除いて下さる

 ・ 神は、私たちを贖って下さった(イザヤ四三・一)

 ・ 神は、私たちの名前を呼んで下さっている(イザヤ四三・一、四五・四)

 ・ 神は、私たちを“わたしのものだ”としてくださっている(イザヤ四三・一)

 以下のような説教をする。もちろん、途中では韓国語の讃美歌を二回歌い、また 一緒に祈る時を二回ほどもった。ただ、一時間以上説教すると会衆は疲れ、ねむくなる。 会衆の魂をさまさせて、喜びと信仰と幻をもって聞かせるためには、説教の途中、 会衆の霊的状況を判断し、対処しなければならない。これについては、韓国の復興 師(伝道者)は大変上手である。

 私も韓国へ行くと、いつの間にか、自然とそのように導かれてしまう。もちろん、 通訳の (ぺ)相徳先生の影響も大きいと思う。説教後、一ニ時半まで祈りの 時をもつ。私は祈りの途中で大聖堂を出て講師控室に帰り、この教会の長老で全 日本福音宣教会会長、林(イム)時漢先生や、総務局長、その他いろいろの方と 交わりを持ち、午前一時に教会をあとにした。

 そして張(チャン)寅相先生宅に帰り、午前三時まで、信仰、宗教、政治、経済 などの分野にわたって、語り合いの時をもち大変有益であった。

 ・ 祈祷院―――太白祈祷院の体験

 キリスト教の二〇〇〇年の歴史の中で、教会が堕落し、世俗化した時、人々は純 粋なものを求めて、山に入り祈った。そこから派生したのが「修道院」である。し かし、逃避的、神秘的な修道院と違い、韓国には「祈祷院」がある。現在は数一 〇〇ヵ所と言われている。ここに、韓国教会復興の原動力をみることができる。こ れは他国に類を見ない韓国キリスト教会の特有、独特のものである。

 祈祷院の発生

 主イエスは一人で山に登り、夜を徹して父なる神に祈られた(マタイ一四・三三、 マルコ一・三五、ルカ六・一二)。この主イエスに少しでも見習い、近づき、主 イエスの心を心としたい思いからはじまっている。韓国では、第二次世界大戦以 前からあったが、現在の祈祷院のような形態をとって始まったのは、一九四七〜 八年ごろ、龍門山祈祷から始まり、次に、ソウルの三角山に多くの祈祷院ができ た。現在では、ヨイド純福音教会の悟山里祈祷院を先頭にして、各教団、教派の 経営による祈祷院、教会附属祈祷院、個人経営の祈祷院がある。

 悟山里祈祷院は、ヨイド純福音教会の“祈りの山”として一九七三年に設立され た。一九八二年には、万人収容の聖堂が完成している。ここでは、毎日四回の集 会が行われ、毎週、おとずれる三〇〇〇〜四〇〇〇各の人々の指導に、二〇名以 上の教職者が当たっている。また、滞在者のための二〇〇〇名収容の宿泊施設も あり、個人的に祈りたい人のために、一五〇の祈りの小部屋がある。ヨイド純福 復音教会と悟山里祈祷院の間には、無料(献金あり)定期バスが毎日何往復もし
ている。

 私が一九七八年一二月九日(土)悟山里祈祷院へ行った時の体験が、私の著書 「愛と決断」(四五―――四六頁)の中に以下のように書かれている。『ヨイド純 福音教会は、現代における世界最大の教会である。否、キリスト教歴史において も最大の教会である。何故!どうして、そんなに多くの人々が集まるのだろうか? その理由は?秘訣は?それを私は、一九七八年一二月九日、この悟山里祈祷院へ 行って知らされた。この祈祷院は一〇〇〇人位が座って一緒に祈れる礼拝堂で、 ここでは、一日四回の定期集会が一年中行われている。この礼拝堂の中に、毛 布や布団を持ち込んで、何日も断食して祈りつづけている人もいる。その他に五 〇人ぐらいの集会所、数人で祈り続けられる部屋が数多くある。その他、山の斜 面に穴を掘った、トオチカ式の祈りの部屋は数多くある。

 私も中に入って祈ったが、神の御臨在を深く感じ、感動した。広さは畳一枚分で、 周囲はコンクリート固められていて、入口に戸がついている。もちろん、電気は ない。夜は真暗である。そのため、ローソクや懐中電灯をもって入る人もいる。 この中で主イエス様に見習い、四〇日四〇夜、断食して祈った方も多くおり、今 も祈っておられる方もいる。

 私は一二月九日の夜一二時ごろ、この穴の近くで一人の農家の婦人に出会った。
一緒に行った*浸礼教会の金在徳牧師を通して『どうして
祈祷院に来たのか?その目的はどうしてか』と質問したところ、この婦 人は東海(日本海)側の方で、今まで六時間以上バスを乗り継いで、二時間前 (午後一〇時)にこの祈祷院に着き、これから穴の祈祷室で一週間断食して祈ると のこと。祈る目的は御主人が、主イエス・キリストの全き救いを体験することと、 二人の子供の進学のためにどうしても祈り、神の御旨を聞かなければ…… との思いで、御主人に頼んで一週間のひまをもらって祈りに来たということだ。 春・夏・秋と全身全力をこめて農家の仕事をし、やっと休める時がきたら、温泉 や旅行にいかず、婦人は祈祷院に来て、一人で一週間祈るという、この姿に韓国 教会復興の原動力を見ることが出来る。この祈祷院、いや韓国にある数百の祈祷 院のどこにも、この婦人のような人が何万、何十万とおられるのだ』。

 祈祷院の集会内容

 私は、今まで一〇数ヵ所の祈祷院で、奉仕させていただいた。ほとんどの祈祷院 で、月曜日の夜から金曜日の朝まで、一日四回、計一四回説教している。しかし、あ る祈祷院では、韓国人の他の講師と二人で集会奉仕をし、ある祈祷院では私の時 間の都合で、一 ――― 二回の場合もあった。

 私の日記の中に、一九八四年三月五日(月)から、八日(金)の朝まで「太白祈 祷院」で行ったことが記されているので、それを紹介したい。私が祈祷院で「何 を語り」「何を見」「何を感じ」「何を体験し」「何を教えられたか」を知ること
ができる。

 ▽1日目 一九八四年三月四日(日)

 今まで、韓国をはじめ、よく外国へ伝道旅行へいったが、日曜日に出発したこと は一回もない。日曜日は主の日であり、聖日として教会のため専心、奉仕してき たからだ。たが今回は、日時、費用などの関係上、やむを得ず主の日の御用を全 部終え、夜の飛行機でソウル金捕空港へ向かうことにした。

 教会の礼拝から、諸集会、事務……等々を一切済ませ、最後まで教会に 残って奉仕していた原口執事と、家族全員(四人)の五人で、午後四時一〇分か ら送別祈祷会をする。そして同執事の車で駅へ。それから電車で成田空港、午後 七時二五分発パンアメリカンの飛行機に乗り、午後九時四〇分に金捕空港に到着。 韓国で夜の飛行は始めてで、日曜日のため、空港の上空からソウル市街を見た時、 “何千何万”という教会の十字加のネオンが見えた。実に感動的で、韓国のキリ スト者の力強さ、主に対する忠実さを垣間見る思いだった。

 入国手続、税関を通過して出ると、韓国国際交流宣教会 (I.G.M.) 会長、 金甲洙
牧師、副会長の* 相徳牧師、同じく、副会長の張寅相 先生御夫婦と、夫人のお
母様ほか、聖徳教会の執事四人と計八人のお迎えをうけた。 「旅人をもてなせ」
の主の御言葉を信じ、忠実に行う韓国のキリスト者の姿に教えられる。日 本は、外国のお客様に慣れ切っている。反省し、いつも新しい気持ち、主の心を 心として生きなければならないことを痛感した。

 金捕空港から五〇分ぐらい車に乗ったあと、聖書教会の礼拝堂うしろにある四畳 間で泊る。その前に、教会員と夜ふけの一二時過ぎまで、祈り、語り合い、交り を探める。そして、五日になった午前〇時三〇分に寝る。ここには、お風呂もシャ
ワーもない。

▽2日目 一九八四年三月五日(月)

 朝、四時三〇分に礼拝堂で祈っている婦人の声で目が覚める。ここにも韓国教会 の現実を見る思いがする。誰かが一日中、一晩中祈っている。それは大きな教会 だけでなく、開拓を始めたばかりの、このような小さな教会でも同じである。た だ、全能の神を信じ、いっさいを委ね、祈り続ける。その結果がどう出ようと、す べて神にまかせている。アーメン。

 私は四時四五分に起き、洗面して、一〇分後に礼拝堂へ。そして五時からの祈祷 会で、四〇分間説教する。聖書はルカによる福音書一八章一 ―― 八節。どんな ことがあっても、失望せず祈り続けることの重要性を話す。その後、三〇分間の 祈りの時をもつ。集会には八人の方が出席していた。人数こそ少ないがこれが、こ の教会を支える土台であり礎であることが分かった。私が韓国へ行くと必ず、多 くの牧師が私に会いにきてくださる。午前一〇時に*(ソウルから車で五時 間)のバプテスト教会牧師がこられた。四〇年という長い間牧会をされた立派な 先生である。一緒に祈祷院にいき、祈り学んだことは実にすばらしい経験として、 今でも心にのこっている。

 午前一一時三〇分には、聖徳教会に一二〜一三名の方々が来て、祈祷の時をもち、 *牧師の運転する教会バスに乗り、太白祈祷院に向かった。ソウルから車で六 〜七時間かかる。バスの中は、大きな美しい講美の声と祈りで満ちあふれ、まさ に天国の姿とも思われる。キリスト者は言語、習慣などの国境を乗り越えて、キ リストの十字架の故に一つ心、一つ思いになれる。ハレルヤ!アーメン!

 三月初旬といっても、山間は雪が五〇―――六〇センチも積もっている。気温は マイナス一〇度をこえ、道路の溶けない所もあり危険だったが、神に守られて、夕
方祈祷院に着いた。

 この祈祷院は、メソジスト教会の長老が理事長、御夫人が院長、息子(三〇歳、 二人の子供を持つ親)が牧師である。特に院長は神から、いやしの賜ものが与え られ、今までに多くの人々をいやし、神の御業を行ってきた人である。一見する と平凡な婦人である。しかし静かな方であるが愛に満ちた人である。ただ、講壇 に立つと全く変わってしまい、火の出るような言葉、祈りが溢れ、聞く者をして 心を引きつけさせてしまう。それから按手の祈祷を一人(あるいは二人)ずつ行っ ていく。祈祷を求める人々の列が二〇〇人―――三〇〇人と続く。しかし、 どんなに時間がかかっても最後まで、愛と信仰と希望の伴った、いやしのための按 手を続ける。それはおよそ二時間ぐらいにおよぶ。

 私は今まで、韓国に二〇数回、巡回伝道に行き、いろいろの賜ものを、もってい る人に逢ってきた。それで、私は、神の賜ものの大きさ、広さ、深さを痛感する ことになった。いやしのための按手祈祷の方法一つ考えても、いろいろな方法が ある。例えば、太白祈祷院長は、目に按手して祈る。韓国バプテストの聖楽教会 の金箕東牧師は、頭を両手で押えて祈る。世界最大の教会であるヨイド純福音教会
のPaul Cho牧師は、講壇から祈るだけである。その他いろいろの方法がある。これ
はみな、神がその人たちに教えたのである。私たちも、他者のまねをするのでは
なく、神との熱い交わりの中から直接教えられ、導かれて行うことが必要である。

 いよいよ「国際祈祷聖会」が始まる。講師は私である。このため諸教会にすでに、
案内を出している。

 韓国では、三月から新年度が始まっているので、人々はそうたやすく外出できな いといってもいい。それでも三〇〇人収容の祈祷院に、今晩は三二〇人も出席し ている。その中には牧師、伝道師が四〇人もいる。それも、あらゆる教派の信徒 や牧師、伝道師である。祈祷院の集会は一日四回である。

 第1回目は、午前四時三〇分―――六時三〇分

 第2回目は、午前一〇時―――午後一時

 第3回目は、午後三時―――五時三〇分

 第4回目は、午後七時――― 一〇時(または無制限)

 私が七時に礼拝堂にいくと、すでに全員が祈りと讃美をしていた。外は、マイナ ス二〇度近いのに、礼拝堂の中は三〇度近い熱気なので汗を流しながら祈り、讃 美している。暖房用のストーブなどはないが、集まっている者は上着を脱いで、汗 をかきながら祈っている。

 そして讃美と祈りの時間が、午後六時五〇分―――八時二〇分まで一時間三〇分 も続く。私が説教を始めたのが、午後八時二〇分。テキストはイザヤ書四三章一 節から「神の全能の御手に委ねよ」とのテーマで、一〇時まで語った。それから、 また祈りと讃美の時があり、午後一一時に終わった。なんと四時間以上かかる集会
である。

 これが、韓国の祈祷院の平均的集会である。集会後、牧師館、応接室に四〇人の 牧師、伝道師が集まって交わりを一二時までもった。その後、自分たちの部屋 (五人部屋)に帰って三月六日の午前〇時五〇分に就寝する。

*私のパソコンはこの字がありません。すると、それが形成してみます。

=

=

[負汁の十] =

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