徹底した聖書中心の信仰
Chujoh Gisuke On A Thoroughly Biblically Centered Faith [In Korea]

Authored by Rev. Chujoh Gisuke, Japan
Translated by Rev. Mike Furey, Georgetown, IN, USA
Revival

中條儀助様, 千葉県習志野市鷺沼4丁目8番9号

韓国教会繁栄の理由:日本の伝道者が体験したことの二章中條儀助

II章 徹底した聖書中心の信仰

1 韓国での聖書歴史

韓国プロテスタント教会の成長基盤は、まず聖書中心であるといっても過言では ない。その徹底した聖書信仰は、福音が伝えられた最初の時からである。それを 閔庚培は「韓国のプロテスタントの開始は、圧倒的に聖書の伝播と結びついてい た。最初の宣教師が、仁川に上陸する時には、すでに韓国語訳聖書を携えてきた」 (閔庚培『韓国キリスト教会史』新教出版社、一六五頁)と記している。このよ うに韓国では、始めから韓国語訳聖書を、そのまま伝播、布教することから始まっ ている。

・ イギリスの軍船アルセスト

韓国に始めて聖書が入ったのは、一八一六年九月四日で、イギリスの軍船アルセ スト(Alceste)号の船長M・マックスウェル(Murray Maxw ell)とリラ(Lyra)号の船長B・ホール(Basil Hall)が屁 仁湾、馬梁鎮に停泊していたとき、僉倹逍大福老官に寄贈した。

・ ギュツラフの働き

ギュツラフ(Karl F。A。Gutzlaff)は、オランダ宣教会所属の西 欧教会の宣教師として働き、一八三二年六月、黄海道、忠清道沿岸に着いてから、 漢文聖書と教理書を伝布した。

その時の感想は「無表情の中にも、沈痛な顔つきをした韓国人に出合い、聖書を与 えて貧しき国で恥かしいことにも、自然を拓くことのできない国、それが福音と 真理のみことばによって、富むことを祈った」(前掲書一三〇頁)と「航海記」 に記している。

また彼は、難波した日本船の一船員と親しくなり、協力して、一八三八年に日本 語の「ヨハネによる福音書」を翻訳し、刊行している。船舶の事情で、韓国には、 長くとどまることはできなかったが、将来「主が予定してくだっさた日には、必 ず豊かな実を結ぶであろう」(前掲書一三一頁)と確信しながら去っていった。 それが彼の宣教の神学だった。

・ 殉教者トマス(前掲書一三二‐一三八頁)

Robert Jermain Thomas(ロバート・ジャーメイン・トマ ス)は、一八四〇年九月七日、ウェールズのリヤヤーダにおいて、会衆教会の牧 師の子として生まれた。若い神学生時代は休学、退学、復学という生活だったが、 一八六三年六月四日、徹底した信仰と宣教の使命感に立ち、故郷ハノーバ教 会で牧師としで按手礼を受けた。そして同年七月二一日、ポルメイズ号に夫人と 共に乗って、中国宣教へと出発した。しかし、翌年三月二四日、キャロライン (Caroline)夫人が天に召されてしまった。

その後、たび重なる試練を経験したが、彼の心は「韓国の人々に聖書を!」との 使命に燃えて、一八六六年、丙寅教難のなか平壌の大同江で、剣を抜いて襲いか かる韓国人兵士に、聖書を差し出しつつ、惜しくもこの世を去って行った。した がって彼は、韓国での、プロテスタントの最初の殉教者である。

・ 徐(ソ)相崙によるロス訳聖書(前掲書一三九‐一四〇頁)

満州の牧丹に、駐屯していたスコットランド連合長老教会から派遣された宣教師、 ジョン・マッキンタイヤー(John McIntyre)とジョン・ロス(J ohn Ross)は、一八七五年韓国のある片隅で、彼らが語る福音の真理に、 耳を傾けていた韓国人の二人を満州へ連れて行き、聖書の教理を教え、バプテス マをほどこしたうえ、韓国語の聖書翻訳に心血を注いだ。その中の一人が徐相崙 である。

徐相崙は宣教師に韓国語を教え、相互の協力によって一八八二年の秋、韓国語訳 の『ルカ伝』と『ヨハネ伝』を出版した。一八八四年には『マタイ伝』ト『マル コ伝』、そして一八八七年に『イエス教聖教全書』(新約聖書)を翻訳し刊行し た。

韓国教会の歴史を考える時、忘れてはならぬのは、韓国語の聖書が、宣教師の入 国以前に存在していて、韓国人は、その聖書により始めから導かれたことである。

・ 李樹任による翻訳活動(前掲書一六〇‐一六二頁)

韓国の聖書翻訳については、忘れてならないのが李樹任である。彼は二つの面で、 韓国教会に多大な貢献を残している。彼は壬午軍乱以後、日本に派遣された修信 使・朴泳孝の使節団の一員だった。

聖書翻訳事業

彼は日本に行くとすぐ、キリスト教界の大物だった津田仙博士を訪ね、親交をも ち、漢文聖書とキリスト教教理を学んで、一八八三年四月二九日の主日、東京の 露月町教会で、安川亭牧師からバプテスマを受けた(他の書物ではG・ノックス 牧師より受洗とある)。

その後、長老教会宣教師G・ノックスとメソジスト教会宣教師R・S・マックレ イに師事した。そして聖書研究を通して、聖霊による感動を受け、ノックスの親 友であり、当時、日本聖書協会総主事であったH・ルーミスに依頼されて、福音 書を韓国語に訳し始め、一八八四年『漢韓新約聖書』(福音書と使徒行伝のみ) にカナをつけ、横浜の大英外国聖書協会から出版した。また一八八五年『マルコ 福音書言海』を横浜の米国聖書協会から出版した。

なおアンダーウッドが、韓国宣教に行った時に持っていった聖書の中には、李樹 任訳があった(関栄二・尹南重、編著『韓国の教会』クリスチャン新聞社、五四 頁)。

アメリカから宣教師を招く

彼は直接には韓国宣教ができなかったが、米国教会に対して、何回も韓国へ宣教 師を派遣してくれるように請願書を送っている。その結果、アンダーウッドが米 国から韓国に遣わされた。そして途中、東京で李樹任から二ヵ月間、韓国語の勉 強とオリエンテーションを受けて、韓国宣教へと向かった。さらに、マックレイ がソウルへ行ったのも、李樹任の働きがあったからである(前掲書五五頁)。

2 聖書神学

・ 草創期の聖書理解

前述したように、韓国のプロテスタントは、聖書の配布から開始された。最初の 宣教師が仁川に上陸した時には、すでに韓国訳聖書を持っていた。それは宣教師 がくる前から、聖書を韓国語に翻訳する準備が、聖霊によってなされていたこと を意味する。それから、聖書普及についても献身的な信仰者がいたのである。 (閔庚培、前掲書一六五頁)

韓国初代の「使徒たち」は、信仰確立の基礎が聖書であると意識し、聖書に傾注 して、御言葉通りに生きようと努力した。そのために、聖書を共に読む会(査経 会)が盛んになり、他国に類をみないほど盛大かつ集中的に行われた。聖書を哲 学的、思弁的、理論的に理解するよりも、聖書をそのまま体験的、実践的に理解 していった。その最初の姿勢が、韓国教会が「聖書の教会」であると言われる源 流になっている。

こういう聖書研究こそが、韓国教会全体に流れる霊の力の真の源泉であるといえ る。そして、その聖書研究会(査経会)が起点となって、平壌、元山、ソウル、 朱浦・・・・・・を中心とする大リバイバルが起きる結果になった。

・ 今日の聖書理解 (李鍾聲、前掲書)

韓国に入った宣教師は、神学的には大きく二つのグループに分けられる。第一の グループは長老派とバプテスト派で、第二のグループはメソジスト派とホーリネ ス派である。韓国教会の神学も必然的に、この両グループの神学活動を中心に展 開された。

(a) メソジスト教会の聖書神学

韓国のメソジスト教会は、始めから自由主義神学に基づいていた。

一九二〇年代に梁桂三が、アメリカのメソジスト神学の中心校であるドルー神学 校、下鴻吉がヴァンデビルト神学校で、それぞれ自由主義神学を学び、そのまま 韓国教会に紹介した。また鄭(チョン)景玉もシカゴのギャレット聖書神学院で 学び、帰国してからは、ソウルのメソジスト神学校で教えた。彼らは、聖書を実 存主義的に理解し、キリスト教の絶体性を否定し、一般宗教学の重要性を認めた。 そして、聖書に対する高等批評などや、最新の自由かつ進歩的な神学を紹介した。 それも、メソジスト教会には、このような神学思想を受け入れる素地があったか らである。

(b) 長老教会の聖書神学

韓国の長老教会に神学的、教会史的に大きな影響を及ばしたのは、朴(パク)亭 龍だった。彼は中国において大学を終え、アメリカ・プリンストン神学校で神学 学士課程を終了し(一九二三‐二六年)その後、メイチェン博士の推薦で、ケン タッキー州ルイヴィルのサウザン・バプテスト神学校で博士号の学位を取得した。 その後プリンストン神学校の校内で、保守的正統主義と新正統主義の立場との神 学論争が起こり、保守的正統主義のメイチェンは離れ、一九二九年にプリンストン 神学校を出て、新しく、ウエストミンスター神学校を始めた。その時、朴亭龍は メイチェンの神学思想を支援した。彼が韓国に帰国した後は、長老会神学校(現 長老会神学大学)で教えた。メイチェン的な根本主義を正統主義という名のもと に教えた。したがって、韓国長老教会は、ますます正統主義、根本主義という非 常にかたい教理主義的、保守主義的傾向になっていった。その影響は今日も残っ ている。

 
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