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「善い管理人として生きる」

2010年9月26日 主日礼拝
日本キリスト教団 頌栄教会 牧師 清弘剛生
聖書 マタイによる福音書 25章14節~30節

信頼に応える

 「一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントン」。 これはある意味でとても分かり易い。私たちはそれぞれ与えられているものが確 かに違います。毎日そのことを痛感しているさえ言えます。聖書に出て来る「タ ラントン」は、英語の「タレント」の語源です。「タレント」は「才能」です。 確かに与えられている才能はそれぞれ違います。五タラントンと見える人もいれ ば一タラントンと見える人もいる。そのことで悩みもします。もちろん与えられ ているのは「才能」だけではありません。与えられている環境、生まれ持っての 境遇も違います。総じて、与えられている人生が違うとも言えます。そうです、 与えられているものは、確かに平等ではない。五タラントンの人もいれば一タラ ントンの人もいます。確かにそうです。

 しかし、「与えられている」と言いましたけれど、実は今日お読みしたイエス 様のたとえ話では違う表現がなされています。「ある人が旅行に出かけるとき、 僕たちを呼んで、自分の財産を預けた」(14節)。そうです。正確に言えば 「与えられた」のではなく、預けられたのです。託されたのです。人生のすべて は、私たちに預けられているのです。

 ならば五タラントン持っている人は二タラントン持っている人に対して誇るこ とはできません。二タラントン持っている人は五タラントン持っている人を妬む 必要はありません。それはすべて主人のものなのですから。実際、このたとえ話 に出てくる二人、互いに誇ったり妬んだりしていないでしょう。自分のものでな く、託されているものならば、最も大事なことは託してくださった方の信頼に応 えることだからです。五タラントンにせよ二タラントンにせよ、信頼して託して くださったのですから。

 信頼に応えるとはどういうことでしょう。イエス様は言われました。「五タラ ントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけ た。同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた」 (16-17)。はっきりしてますでしょう。信頼に応えるとは、託されたものを 主人の喜ばれるように用いようとすることです。主人のことを思って、託された ものを生かそうとすることです。

 私たちには預けられた人生、託された人生があるのです。それは五タラントン であり、二タラントンであり、一タラントンです。ちなみに、この「タラントン」 という単位は普通の生活ではほとんど使われない単位です。それはとても大きな 金額だからです。一番少ない人が託された「一タラントン」ですら、今のお金で 言えば六千万円ぐらいなのです。相当な額なのです。

 私たちは自分に五タラントン託されていると感じるよりは、むしろ一タラント ンであると感じることの方が多いかもしれません。しかし、それでも相当な額な のです。すなわち、それほど豊かなものが託されているのだということです。私 たちは自分に欠乏しているもの、他の人が持っていて自分の持っていないものば かりを気にしてばかりいるものですが、実はとてつもなく豊かなものが与えられ ているのです。生かして用いれば何が生み出されるか分からない。あらゆる可能 性に満ちた、そんな豊かな人生が与えられているのです。

 五タラントンの人も二タラントンの人も、自分が何を為すべきかを知っていま した。それは互いに比較することではない。主人の喜びとなること。主人に喜ば れるように用いること、生かすこと。私たちの人生においても本当に為すべきこ とはそのことです。用いること、生かすこと。主人のことを思って。主人が帰っ て来る時がきます。タイムリミットがあるのです。私たちで言えば人生の最後の 一日まで、あるいは主が再び来られる終わりの日まで、とにかくタイムリミット まで託されているものを用いること、生かすことです。

 もちろん、そこには結果や成果に違いは出るでしょう。そこには五タラントン もうけた人がいる。そこにはまた二タラントンもうけた人がいる。確かに成果は 違います。しかし、本当は主人にとっては、成果の違いなんてどうでもいいので す。イエス様はそう言っておられますでしょう。「 さて、かなり日がたってから、 僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預かった 者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラン トンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であっ たから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に、二タラ ントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりま したが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。 『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くの ものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』」(19-23節)。

 主人は「成果を出した良い僕だ」と言って誉めているのではないのです。「忠 実な良い僕だ」と言われているのです。だから二タラントンもうけても五タラン トンもうけても、同じ言葉なのです。忠実さとは何ですか。託された者として信 頼に応えて生きることではないですか。すなわち、主人のことを思って、主人の 喜びを考えて用いたということです。それが主人にとっては決定的に重要なこと だったのです。

信頼に応えなかった人

 実はそのことが分からない人もまた、この話には出て来るのです。五タラント ン預かった者は出て行き、それで商売をしました。二タラントン預かった者も、 そうしました。しかし、問題はもう一人です。「しかし、一タラントン預かった 者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた」(18節)。別に無駄遣 いしてしまったわけではありません。無くしてしまったわけでもありません。い や、無くさないように、大事にしたのです。ところが、イエス様の話では、この 僕は主人に叱られるのです。「怠け者の悪い僕だ」と言われるのです。

 確かにこの僕はそんなに悪いことをしたようには見えません。だから「ひどい 話だなあ」と思えなくもない。しかし、問題のポイントははっきりしています。 この「一タラントン預かった者」は、主人のために用いようとはしなかった、と いうこと。それは人間の目には大したことではないように見えるのです。しかし、 神の目にはそう見えないということのようです。イエス様の言葉によるならば。

 なぜ託されているものを用いることができなかったのか。生かすことができな かったのか。この僕の問題には根っこがあるように見えます。それは何か。この 僕の言い訳に表れています。彼はこう言っています。「御主人様、あなたは蒔か ない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていま したので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠し ておきました。御覧ください。これがあなたのお金です」(24-25節)。彼が タラントンを地の中に隠しておいたのは「恐ろしく」なったからだと言うのです。

 失うことが恐ろしかったのでしょう。結果が出ないことが恐ろしかったのでしょ う。失敗することが恐ろしかったのでしょう。その「恐れ」って、結局は「成果 こそすべてである」と思っているところから来ているのでしょう。実際、この僕 は主人が成果こそを問題にされる方だと信じていて、それで恐れているのです。 しかし、既に見てきたように、主人にとって、そんなことはどうでも良いことな のでしょう。大事なのは主人のことを思ったか、そして、主人のために用いよう としたか否かなのです。託してくださった御方の信頼に応えたいと思ったかどう かなのです。成功することより、その心の方がよほど大事なのです。

 そもそも「あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められ る厳しい方」という言葉はどこから来るのでしょう。それは、「自分のところに は蒔かれていない。自分のところには散らされていない」という意識から来るの でしょう。あの人には五タラントン分蒔かれてますよ。あの人には二タラントン 分蒔かれていますよ。でも、私にはせいぜい一タラントンですよ。なのに成果ば かり求められる。ひどい主人だ。ーーそんな思いが見え隠れしませんか。

 神様は不公平だ。人生は不公平だ。そんな不平不満と「成果こそすべて」とい う思考が一緒になったら、この一タラントンの僕のようにならざるを得ません。 生かせるものも生かせない。用いられるものも用いられない。どうしたってそう なります。他の人より少なくたって良いじゃないですか。他の人の五分の一だっ て良いじゃないですか。要はそれを生かすか否かなのです。

 私たちは所有者ではなく、管理者です。管理者として重要なのは忠実であるこ とです。託してくださった主人のために用いること、生かすこと。今日はイエス 様のたとえ話からそのことを聞いてきました。しかし、主人のために用いるって、 神様のために用いるって、具体的にはどういうことでしょう。今日は第2朗読で ペトロの手紙をお読みしました。そこに「互いに仕えなさい」という言葉が出て 来ました。託してくださった神様のことを思って生かすこととは、具体的には、 それを用いて互いに仕えることとして語られているのです。

 自分のためではなく、誰かのために用いること。誰かを生かすために託されて いるものを生かすこと。五タラントンを精一杯用いて、精一杯生かしているつも りでいても、結局はただ自分のことだけを考えて自分を幸福にすることに汲々と しているならば、それは主人から見たらあの地中にタラントンを埋めた人と同じ でしょう。そんなことのために五タラントン託されたのではありません。「あな たがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い 管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい」(1ペトロ4:10)。

 
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